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文化財

自然文化財

シオジの学術保護林(国指定天然記念物)

シオジの学術保護林

神流川上流の北沢付近の天然渓畔林で無数のシオジが自生し、その他シナノキ、トチノキ、サワシバ、カツラオヒョウなども見られる。
大きなものは樹高35m、樹齢は100~200年と推定される。
このシオジ林は自然分布の北限に近く、このシオジ林の水系の間にある稜線一体は、アズマシャクナゲの自生地としても知られている。豊かな自然環境に恵まれたこの地域は、カモシカなども生息しており、学術的価値も高く、「シオジ学術保護林」となっている。北沢渓谷の自然探索などやハイキングで訪れることが出来る。

神行阿弥陀堂のサワラ(県指定天然記念物)

神行阿弥陀堂のサワラ

神行集落の三岐よりの外れに阿弥陀堂がある。
その庭には長禄3年(1459)の銘のある石幢がある。
この塔は村の人々が集まって念仏供養を行った記念として造立されたものであり、念仏供養の記念として造立されたという趣旨を持つ塔である点で珍しい資料である。阿弥陀堂の建立年代は不詳であるが、この庭に阿弥陀堂の大サワラと呼ばれている巨木がある。いつ頃植えられたか分からないが、石幢の銘から推定すると樹齢は650年~750年と思われる。樹高36m、目通り6.5mである。

中正寺のしだれ桜(県指定天然記念物)

しだれ桜

この桜は永正年間(1504~1521年)に比叡山延暦寺より實仙和尚が持って来て植えたといわれる。通称"仏乗桜"とも呼ばれており、樹高24.2m巨木で樹齢は約500年と推定されている。四方に張り出した枝に満開の桜がなびく様子は、神流川の清流と相まって実に美しい。花の色は白に近い淡紅色で4月中旬頃が見頃となります。

野栗の材化石(県指定天然記念物)

野栗の材化石

昭和58年8月、都立杉並高校の田中邦幸教諭が、新羽の中石津の林道沿いの西向き側面に露頭しているのを発見したもので、長さ3.5m、幅90cm、厚さ40cm、重さ約1屯の板状である。
 発見当初は、針葉樹の化石と考えられていたが、その後の研究の結果、髄線(放射組織)が針葉樹の2~3倍の多髄質であること、本部と師部が交互に同心円状に配列しており、こうしたことが蘇鉄(ソテツ)独特の特徴を持つことから、世界最大のソテツの樹木化石で、約1億年前のものと断定され、昭和59年7月3日、県指定天然記念物となったものである。

伝統文化財

旧黒澤家住宅((国指定重要文化財)

旧黒澤家住宅

徳川氏が江戸に幕府を置いた時、現在の上野村・神流町(旧万場町・旧中里村)、旧美原村の一部は幕府の天領となり、山中領として27代の代官が支配しました。山中領は上山郷・中山郷・下山郷の三郷に分けられ、黒澤家は代々上山郷の大総代を務めた旧家でした。
当時、上山郷には鷹の保護地区が27か所指定され、毎年、将軍家に「鷹狩り」の巣鷹を献上していました。黒澤家は代々、その御林守として御巣鷹山の管理にも当たりました。
旧黒澤家住宅は、18世紀中頃の建築と考えられ、間口22m、奥行16mの総二階の切妻造り。その規模の大きさや座敷の数、玄関の設備など、当時の旧家の面影をよくあらわしています。
昭和45年、国指定重要文化財に指定されました。

乙父のおひながゆ(国選択無形民俗文化財)

乙父のおひながゆ

おひながゆは、子ども達により受け継がれてきた伝統行事です。その昔神流川を流されてきたお姫様を救け、おかゆを差し上げて元気づけたという民話にならった乙父地区の行事で毎年4月3日の早朝より行われます。。当日は朝早くから、お城と呼ばれる円形の石積みの中にこたつやお雛様が運び込まれ、そこでお粥を食べたり遊んだりして一時を過ごす、神送りの儀式が生んだ伝統的な神事です。

乙父神社の祭典とおみこしお川下げ(県指定重要無形民俗文化財)

乙父神社の祭典とおみこしお川下げ

毎年行われる春の行事の一つである。貫前神社はもともと荒船山を自然崇拝の対象としたものであり、富岡市の一の宮の貫前神社の姉神とされていたが、その後(時代は明らかでない)乙父、五郷の諸々の神を合祀し、今日に至っている。
住民のほとんどが農家だったことから豊作祈願が主で、最近では商売繁盛、学力向上、交通安全等の祈願が行われており、川下げの神事も行われる。
妹神である一の宮が当村より盛大なのは、昔、姉神は鏡を、妹神はワラジを拾う夢を見て、鏡はそのまま、ワラジは踏めば踏むほど広がるところから、その差が開いたのだと言い伝えられている。

乃久里神社御神輿川下げ・太々神楽

乃久里神社 川下げ

野栗地区にある乃久里神社の歴史は古く、建立は1300年前といわれています。社には日本武尊の妃・弟橘媛(おとたちばなひめ)が祀られています。川下げ神事では御祓いの場である野栗沢川に猿田彦が先導し向かいます。­そして、乃久里神社の子どもとされている神社と同数の77個の小麦団子を川に流し神様­に捧げます。

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